スイス連邦裁判所は『最高裁判所』なのか?

篠原 翼

1. はじめに

 スイス連邦における最高司法機関である「スイス連邦裁判所」(Tribunal fédéral, Bundesgericht, Tribunale federale)は,我々日本人が認識するような『最高裁判所』といえるのだろうか。この点につき,スイス連邦の公式言語であるフランス語・ドイツ語・イタリア語(ロマンシュ語も含まれるが重要度が他の言語に比べると事実上低い)には,『最高』の表記は存在しない。しかし,スイス連邦憲法第188条1項によれば,「連邦裁判所は,連邦における最高の司法官庁である」と規定し,スイス連邦裁判所がスイス国内の最高裁判所の地位を有することを明確にしている[1]。この法的地位に着目し,日本国内でこの文言を「スイス連邦最高裁判所」と訳出する者もいる[2]。しかし,スイス連邦裁判所は,日本国内における最高裁判所とは異なり,例外的に管轄権を有しない事項も存在している。

 このような状況において,本稿では,日本法における「最高裁判所」と同一の文言を用いることができるのだろうかについて簡単に検討していきたい。

2. スイス連邦裁判所の管轄権

 スイス連邦裁判所の管轄権については,連邦裁判所に関する2005年6月17日連邦法(Loi du 17 juin 2005 sur le Tribunal fédéral, LTF)に規定されている[3]。連邦裁判所に対する訴えの提起は,①民事事件に関する訴え(LTF第72条以下),②刑事事件に関する訴え(LTF第78条以下),③行政事件に関する訴え(LTF第82条以下),④補完的憲法不服申立(recours constitutionnel subsidiaire)(LTF第113条以下)に区別される。

 これらの事項管轄に基づき,連邦裁判所は,LTF第95条に基づき,❶連邦法,❷国際法,❸州憲法,❹市民投票に関する州規定および選挙・国民投票(votation populaires)に関する州規定,❺州間法(droit intercantonal)の違反に関する訴えについて上告理由(motifs de recours)とするとしている。また,その訴えは,第LTF第86条1項に基づき,(a)連邦行政裁判所(Tribunal administratif fédéral),(b)連邦刑事裁判所(Tribunal pénal fédéral),(c)ラジオ・テレビに関する不服申立の審査についての独立機関(l’Autorité indépendante d’examen des plaintes en matière de radio-télévision),(d)連邦行政裁判所に対する訴えが開かれていない場合に限り,最終審の州当局による決定に対するものでなければならず,それ以外の訴えについては,受理可能性を否定されることになる。

3. 管轄権の例外

 以上で示したスイス連邦裁判所の管轄権から除外される事項がLTF第83条に規定されている。その中でも特に,第d号は,「判断された庇護に関する決定;1. スイス連邦行政裁判所による決定(保護を求めている国家によって強制送還の要請の対象となった者に関する決定を除く)…」は,スイス連邦裁判所への受理可能性が否定されると規定している。他にも,第f号は,「旅客交通機関に関する2009年3月20日に関する連邦法第32i条の対象となる決定に関するスイス連邦行政裁判所の決定」についてもスイス連邦裁判所の管轄権が否定されることになる。したがって,これらの事項はスイス連邦行政裁判所(Tribunal administrative fédéral)で審理が確定となり,スイス連邦裁判所に紛争が付託されることはない。これは,スイス連邦裁判所がすべての案件を包括的に受理するわけではなく,それ以外の連邦裁判所が最高裁判所として機能する例もあることを意味しているといえるだろう。

 これに対して,下級裁判所・高等裁判所・最高裁判所で構成される三審制を採用しているため,申立人が最高裁判所に提訴できないという状態は法律上存在し得ない。申立人が高等裁判所の判決を考慮し,上告を行う否かを判断することになる[4]。   

 以上から,例外的にスイス連邦行政裁判所が最終審となることは,スイス連邦裁判所が日本における最高裁判所と完全に同じであるとまでは言い難い。しかし,日本の制度においても,簡易裁判所から審理が開始された場合には,その時点から三審制が適用されるため,高等裁判所が最終審となり,このような現象とスイス連邦行政裁判所が同様のものであると理解する立場に立てば,スイス連邦裁判所は,日本の裁判制度における『最高裁判所』と解釈することもできるだろう。しかし,前述したように,公式言語であるドイツ語・フランス語・イタリア語においては,『最高』という単語は使われていない(英語はスイスの公式言語ではないことに注意しなくてはならない)[5]。そのため,『スイス連邦裁判所』とする方が原文に忠実に訳出しており妥当であると思われる。

4. 結びに代えて

 本稿で取り扱った問題は,ただの用語の問題のように思われるかもしれない。しかし,原文にないものを意訳という形で表記することは,訳者による主観が介入するため,客観的ではない。たしかに,スイス連邦裁判所は,『最高裁判所』たる地位をスイスの裁判制度において有しているが,原文に『最高』という用語が用いられていない以上は,「スイス連邦最高裁判所」ではなく,「スイス連邦裁判所」として原文に忠実に訳出することが望ましい。また,機能面でも,日本の裁判制度における「最高裁判所」とは多少異なるため,「スイス連邦裁判所」という用語を統一的に用いる方がよいであろう。


 明治大学修士課程修了・ローザンヌ大学修士課程修了(LL.M),ローザンヌ大学博士課程進学予定(Ph.D)。

[1] ワルター・ハラー原著,平松毅・辻雄一郎・寺澤比奈子訳,『スイス憲法―比較法的研究―』成文堂(2014年),246頁。

[2] 公益財団法人日本スポーツ仲裁機構『調査事項2 スイス国際私法典第12章 国際仲裁 CAS 仲裁判断の取消、再審制度』,スポーツ庁(2018年),1頁(スポーツ庁のウェブサイトを参照せよ;https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/sports/mcatetop10/list/detail/1422498.htm). 

[3] RS 173.32 (https://www.admin.ch/opc/fr/classified-compilation/20010206/index.html).

[4] 初学者に分かりやすく説明しているものは,https://eu-info.jp/CPL/courts.html

[5] 「スイス連邦最高裁判所」(Swiss Federal Supreme Court)という用語は,元々存在せず,他のSwiss Federal Administrative CourtやSwiss Federal Penal Courtなどが後に新しく設置されるようになったため,Federal Courtという元々の用語を『英語』を用いる際には用いないようにし,Swiss Federal Supreme Courtという用語を代わりに使用するようになった,という形成背景がある。この点については,Alexander Misic & Nicole Töpperwien, Constitutional Law in Swizterland, Second Edition, Stämpfli Publishers, 2018, pp. 115を参照せよ。

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